女優の斉藤由貴(58)が、2024年の春頃に離婚していたことが明らかになりました。1994年12月に同じモルモン教(末日聖徒イエス・キリスト教会)信者の一般男性と結婚し、30年近くの結婼生活に終止符を打ったことは、彼女の度重なる不倫騒動と密接に関連していると考えられます。
「モルモン教の結婚観」という、ルールに馴染めない、宗教二世の斉藤由貴が抱えていただろう悩みが話題となっています。
斉藤由貴が馴染めなかったモルモン教の結婚観
モルモン教では、結婚を非常に重要視しています。教義によれば、夫婦は神殿で結び固められることで、死後も永遠に結ばれるとされています。また、家族を中心とした教会であり、離婚は禁止されていないものの、できる限り避けるべきものとされています。
斉藤由貴はモルモン教の信者として結婚し、家庭を築いてきましたが、結婚に関する教義だけは馴染めなかったようです。宗教二世として育った彼女は、以下のような葛藤を抱えていたと考えられます。
信仰と個人の自由の線引き
宗教二世は、幼少期から親の信仰の影響を強く受けて育ちます。斉藤由貴も例外ではなく、モルモン教の教えを自分の軸としながら成長したと考えられます。しかし、芸能界という多くの出自が異なる人間関係の中に身を置く中で、教義と現実社会の価値観の違いに直面することも多かったのではないでしょうか。
自己肯定感の低さと愛着の問題
一般的に、宗教二世の中には、自己肯定感が低く、愛着障害を抱える人も少なくないと言われています。これは、幼少期に養育者、つまり多くの場合、親との愛着が上手く形成されなかったことが原因とされています。斉藤由貴も、このような問題を抱えていた可能性があり、自己肯定感が低いことから不倫行為につながった一因かもしれません。
実際に、斉藤は2017年の不倫釈明関係で、医師のT氏が斉藤由貴の演技について細かく話してくれることに信頼を寄せていると語りました。自分を肯定してくれる人を常に必要としていたのかもしれません。
アイデンティティの揺らぎ
宗教二世にとって、信仰は、個人の選択によるものではなく、親が信仰しているため、生まれながらのアイデンティティの一部となっています。斉藤由貴にとっても、モルモン教の教えは人生の指針となって、自己定義の重要な要素だったでしょう。しかし、芸能界での活動や個人的な経験を通じて、そのアイデンティティが揺らいでいった可能性があります。そのため、モルモン教の教義とは別の価値観が生まれていったのかもしれません。
斉藤由貴が不倫を繰り返した背景
斉藤由貴は、2017年に60代の医師T氏とのW不倫が報じられたことで大きな注目を集めました。騒動はいったん収束したものの、2024年9月には再び二人の親密な関係が報道されました。過去にも大物俳優との不倫が報道され、斉藤由貴は「魔性の女」と言われています。なぜ彼女は不倫を繰り返したのでしょうか。
斉藤由貴は恋愛依存で心の拠り所がほしかった
斉藤由貴は、かつての記者会見で「お相手の男性に、女優としても、女性としても、頼りすぎてしまいました」と述べています。この発言からも、彼女がT氏に強い依存関係を抱いていた可能性が窺えます。長いキャリアの中で、多くのプレッシャーやストレスを抱えながらも家庭を支え、母親としての役割も果たしてきた斉藤にとって、T氏との関係は心の拠り所だったのかもしれません。
斉藤由貴の家庭内の孤独感
報道によれば、斉藤は夫についてほとんど語らず、次女とのエピソードを披露することが多いとされています。それは、夫が一般人であることもあるかもしれませんが、夫婦関係が表面的には維持されていても、実際には冷え切った状態にあった可能性が高いと推測されます。その中で、T氏との関係が彼女にとって唯一の「心の安らぎ」となっていたのかもしれません。
斉藤由貴は宗教的規範からの解放されたかった
モルモン教の厳格な教えに縛られてきた斉藤由貴にとって、不倫関係は一種の「解放」を意味していた可能性があります。宗教二世として育った彼女にとって、教義に反する行為は罪悪感を伴うものでありながら、同時に自由を感じさせるものだったかもしれません。
斉藤由貴だけではない!宗教二世が抱える普遍的な課題
斉藤由貴の事例は、一般的に宗教二世が直面すると言われている、とても普遍的な課題を浮き彫りにしています。
1. 思想信条の自由の制限:親の信仰が子供の選択肢を狭める
2. 個人としての尊重の欠如:信仰集団の一員としてのみ見られがち
3. 外部との接点の少なさ:信仰コミュニティ以外の世界との交流が限られる
これらの課題は、斉藤由貴の人生選択にも大きな影響を与えてきたと考えられます。宗教二世が抱える心理的・社会的要因を理解することは、今回の斉藤由貴の決断を理解することにつながっていきそうです。
斉藤由貴は不倫と離婚を経て、新たな人生へ
斉藤由貴の離婚は、30年に及ぶ結婚生活の終わりであると同時に、宗教二世として抱えてきた葛藤からの解放の始まりかもしれません。斉藤由貴の不倫と離婚は、単なるスキャンダルではなく、宗教二世が抱える深い葛藤の表れだったとも言えるでしょう。
斉藤由貴が婚姻期間中にとった行動は決して正当化されるものではありません。しかし、斉藤由貴が不倫関係を続けてきた背景には、モルモン教の教えと現実社会での生き方との間で生じる葛藤があったのではないでしょうか。
斉藤由貴の結婚生活、そして離婚は、多くの宗教二世が抱える悩みや葛藤を代弁しています。信仰と個人の自由の間で揺れ動く人々にとって、斉藤由貴の姿は、新たな生き方の可能性を示唆しているのかもしれません。
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